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「ぐんまフランス祭2020」

2013年10月25日

134-1 富岡製糸場 (富岡市)

Bonjour~~


今年は大型台風が、次から次へとやってきて
普通なら、秋晴れが続くいい季節のはずなのに
寒暖の差も激しいし、なんか残念秋ですね~・・・。


さて、先日ある会合があって 富岡製糸場の見学会に参加しました。
以前もフランス大使館の人たちと3回ほど見学をしたことがあるので
今回で4回目かな~・・・





11月22日から3日間、群馬県庁開催する「ぐんまフランス祭」にも
第1回から富岡製糸場について、会場でも展示していますが

何故かというと、群馬県内にある富岡製糸場注中心としたした
絹産業にかかわる歴史的建造物とその周辺が
世界産業遺産登録に向けて整備続けているわけですが

群馬が日本でもっともフランスとの古い歴史的関係が深い地域であるのは
この富岡製糸場があることが、その理由の根源なわけです。





富岡製糸場は、フランス人技師 ポール・ブリュナの技術指導によって
日本初の近代官営工場として、当時世界でも最大規模の近代工場として
建設されたわけです。





実は、当時フランスの経済を支えた主要産業は製糸業、紡績業など
高級な絹製品を生産、輸出することでフランスは潤っていたのですが

19世紀末にフランスの蚕が疫病にかかり絶滅 
という大問題に発展したんです。

蚕がなければ繭(まゆ)は作られませんから、絹製糸業どころではなく
フランスの主要産業そのものが壊滅し、
フランスという国そのものの危機であったわけです。





その非常事態の際、フランス人は世界中に蚕を探し回って
それをフランスに持ち帰るのですが、
そのほとんどがやはりフランスで蔓延していた
疫病にかかってしまったわけです。


そのころ、フランス人は日本が多くの絹織物が存在し
自国で生産していることを知って
日本へ蚕を調達に出かけようということになったのですが

その頃、日本は鎖国中ですから
外国人は容易に日本に入国することは出来なかったわけです。

ですから、フランス政府は当時の徳川幕府と接触して
一部の幕府関係者と信頼を築き密入国して、
日本国中をまわり蚕を確保してフランスに持って行ったところ

日本の蚕はフランスの疫病に強いことが分かり、
更に日本からの蚕の密輸を促進していったのだそうです。





そして、フランスの基幹産業としての製糸業や紡績業は復活したわけですが

しかし、当時 フランスから日本、日本からフランスへ蚕を輸送するには
あまりにも時間もコストもかかりすぎ、
そのこと自体が問題視されるようになっていったわけです。


当時の日本は、徳川幕府末期、幕府側と反幕府側の混乱のさなか
着々とアジア侵略を続けていたイギリスや
古くから歴史的関係をもつポルトガルやスペイン
新興勢力であったアメリカなど幕府と反幕府は、それぞれの国の関係者と
極秘に会っていたそうですが、
フランスも例外ではなかったわけです。


そして、他の国が植民地支配を前提とした日本への接触とは異なり
フランス政府は、自国救済という使命の中での日本との接触だったため
どうも当時のフランス政府との接触感覚は、
他国とはかなり異なっていたらしいんです。


つまり、幕府がフランスに密入国を許し、蚕の持ち出しを許したたかわりに
どうもフランスの近代産業技術を徳川幕府に伝授することが
密約されていたらしいわけです。





フランスと幕府との関係がかなり深かったことは、

現在の東京にある在日フランス大使館の広大な敷地は
尾張徳川家の上屋敷後をフランスに譲渡した 
という歴史関係でもわかるわけです。


つづき

  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)お店・フランス情報その他