フランスを知りたい!!群馬とフランスの架け橋 【群馬日仏協会】 会員募集中!!

「ぐんまフランス祭2020」

2016年04月20日

226-2 春のとみおかフランス祭㋐群馬 (富岡市)

Bonjour~~~!!


「春のとみおかフランス祭㋐群馬」に関するお知らせです。

実は、5月15日[日]に「春のとみおかフランス祭㋐群馬」開催にあたり
いくつか関連事業があるのですが、
その一つに、高崎駅から通常は下仁田まで行く
上信電鉄というローカル線があるのですが
その上信電鉄の列車に乗って、「春のとみおかフランス祭㋐群馬」の会場
上州富岡駅まで「ワイン列車」を走らせます。





電車は時速30キロ?? とにかくゆっくり、ゆっくり
のどかな田舎の景色を満喫していただきながら
約50分かけて、行きます。

そして乗車いただく皆様をエスコートするのは
まず、ダミン・ロブション
富岡市の正規職員で国際交流員ですが
とにかく顔をみなければ、まるで日本人であるかのように
流暢に日本語を操る、驚くべきフランス人です。

最近はTBSの所さんのニッポンの出番やNHKワールド他
様々なTVやラジオ番組に出演するイケメンフランス人で
大人気です。





彼が、もちろん富岡製糸場のフランスとの歴史や
製糸場の建設を進めたフランス人技師、
ポール=ブリュナとフランスワインとの逸話なども話します。

そして、もちろんちゃんとソムリエも同行しますよ。
美人ソムリエでその世界では知る人ぞ知る??堀口瑞予さん
群馬日仏協会の会員でもある彼女が、ワインの話ももちろん
丁寧にしながら、楽しいひと時を演出してくれる予定です。

今回はちょっとお得に往復乗車券付き4000円で
70人限定で募集します。

もうすでに申し込みは始まっていますので
もしこの機会に、「春のとみおかフランス祭㋐群馬」と
世界遺産・富岡製糸場に行ってみよう…という方は
早めに申し込みをしたほうがいいかもしれません。
  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)春のとみおかフランス祭㋐群馬

2016年04月17日

226-1 春のとみおかフランス祭㋐群馬 (富岡市)

Bonjour~~


しばらくぶりのブログ更新になってしまいました~・・・。

それでもその間もこのブログに沢山の方にアクセスして頂いて
本当にありがとうございます。


で、先ずはまだ収束するかどうかも確かではない
熊本地震で犠牲になった方々やそのご遺族に、心からお悔やみを申し上げます。
いまだに余震が続き、避難をしている方々、住居に多大な被害を負った方々に
お見舞いを申し上げます。
私たちにも出来ることを考え、支援していきたいと思います。


さて残すところ約一月後には
一昨年、世界文化遺産と国宝にいっぺんに登録された
富岡製糸場がある、群馬県富岡市ではじめて
「春のとみおかフランス祭㋐群馬」を開催しま~す!!





群馬日仏協会では毎年11月の第3金曜日から3日間
群馬県庁舎内で「ぐんまフランス祭」を開催してきましたが、
今度は、春に屋外で「フランス祭」を開催します。

会期は2016年5月15日[日] 午前9時から午後7時まで。
今回は一日のみの開催です。





で、ちょうどその頃は群馬が 富岡がまるで南仏のように
爽やかな心地良い気候になる時期で
そんな気持ちの良い時期に、南仏のようなマルシェを模して
沢山の方に楽しんでいただきたいと思い企画しました。
最近は全国の色々なところで、マルシェや蚤の市とか
骨董市とかいろいろな市場がありますが、
フランスに特化した屋外開催のマルシェはないのかな~・・・と





現在、大使館やフランス商工会議所が支援して
東京新宿の伊勢丹で開催している「ボンジュール フランス」は
フランス色全開だけど、やっぱりブランド高級志向で
何ともビジネス色がプンプン・・・。
いわゆるマスコミや一部の利害のある人達が作り上げている
フランスの一部のブランド思考的一次元みたいな・・・。

まあ、ヴァンソンはそれも嫌いではないですが、
でも、やっぱりフランスの良さの一つは南仏のような
高級志向とは別次元の田舎の優雅さ。
素朴さ、楽しさ、おおらかさ(笑)

すいません、南仏に長かった、
私ヴァンソンの個人的な印象ですので悪しからず・・・(笑)

まあどこまでできるかはやってみないと分かりませんが
でも、きっと来場して下さる方々の応援さえあれば
僕らはそれに応えるだけの努力はしていけるかな~・・・と(笑)
そして、きっと富岡ならできると思っています。



↑イメージ


場所は、高崎から出発するローカル列車、
上信電鉄で上州富岡まで約40分
ゆっくり走ります。





上州富岡駅はグッドデザイン賞 ベスト100 や
世界的な建築賞、ブルネル賞 AWARD
日本建築学会作品賞、平成27年度照明普及賞なんかも受賞するなど





こんなローカルな駅が、こんなに凄い賞を沢山もらっているのか
何かちょっと不思議な感じですが・・・・
でも、まるで南フランスのTGVの駅みたいに、周辺になにもないところに
いきなり現れるモダンな駅をちょっと思い起こすようなそんな駅です・・・(笑)





で、その駅前の通常は市営の駐車場になっている場所を
今回フランス祭の会場にします。


次回はその内容についてご案内します。


  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)群馬日仏協会行事

2016年04月03日

239-2 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)

Bonjour a tous


昨年、パリ・ポンピドゥーセンターで50年ぶりに開催されていた
パウル・クレー展について、ご紹介しています。





クレーは1879年、スイスの首都・ベルン近郊の
ミュンヘンブーフゼーに生まれました。
お父さんは音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという
音楽方面の一家だったんですね。





クレー自身も早くからヴァイオリンを弾き
すでに11歳でベルンのオーケストラに籍を置くなど、その腕はプロ級で
1906年に結婚したクレーの奥さんもピアニストだったんです。

クレーの音楽に対する深い理解は
バッハやモーツァルトらの古典音楽からストラヴィンスキーやヒンデミットら現代音楽にまで
幅広く及んでいたらしく、
クレーの作品の画題にはポリフォニーやフーガといった音楽用語が
よく用いられているんです。





勿論その一方で絵画への関心も既に
小さい頃から芽生えていたようです。

そしてまた文学にも興味を持っていて、
創作を積極的に行っていた時期もあったみたいですが
迷った末に、クレーは音楽や文学ではなくて
絵の道を選ぶことになったのだそうです。


Angelus Novus, 1920


ただ絵に専念することを決めた後も
音楽や文学への関心は薄れることがなく、
一日にヴァイオリンを何時間も演奏したり、
また詩を作って日記に記したりもしています

18歳の頃から書き始めた日記は
日々の出来事や創作した詩を書くだけのものに留まらず、
クレーの絵画及び芸術に対する考えや方向性を鍛え上げていく
いい機会になったようです。





クレーは初期には風刺的な銅版画やガラス絵などを試みていて、
またアカデミックな手法の油絵を残していいます。


Jeune fille, se baissant, suivie par un basset ressemblant à un serpent, 1906


1906年以降、ミュンヘン分離派展に銅版画を出品していて、
1910年にはすでにベルン等で個展も開いています。

この頃はセザンヌやゴッホらの作品に感銘を受けつつ
独自の道を模索していたようです。





またカンディンスキーやマルクらと知り合って、
特にマルクとは親友となり、
彼らが立ち上げた「青騎士」展には第2回展から参加しました。

  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)フランス情報

2016年04月03日

239-2 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)

Bonjour a tous


昨年、パリ・ポンピドゥーセンターで50年ぶりに開催されていた
パウル・クレー展について、ご紹介しています。





クレーは1879年、スイスの首都・ベルン近郊の
ミュンヘンブーフゼーに生まれました。
お父さんは音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという
音楽方面の一家だったんですね。





クレー自身も早くからヴァイオリンを弾き
すでに11歳でベルンのオーケストラに籍を置くなど、その腕はプロ級で
1906年に結婚したクレーの奥さんもピアニストだったんです。

クレーの音楽に対する深い理解は
バッハやモーツァルトらの古典音楽からストラヴィンスキーやヒンデミットら現代音楽にまで
幅広く及んでいたらしく、
クレーの作品の画題にはポリフォニーやフーガといった音楽用語が
よく用いられているんです。





勿論その一方で絵画への関心も既に
小さい頃から芽生えていたようです。

そしてまた文学にも興味を持っていて、
創作を積極的に行っていた時期もあったみたいですが
迷った末に、クレーは音楽や文学ではなくて
絵の道を選ぶことになったのだそうです。


Angelus Novus, 1920


ただ絵に専念することを決めた後も
音楽や文学への関心は薄れることがなく、
一日にヴァイオリンを何時間も演奏したり、
また詩を作って日記に記したりもしています

18歳の頃から書き始めた日記は
日々の出来事や創作した詩を書くだけのものに留まらず、
クレーの絵画及び芸術に対する考えや方向性を鍛え上げていく
いい機会になったようです。





クレーは初期には風刺的な銅版画やガラス絵などを試みていて、
またアカデミックな手法の油絵を残していいます。


Jeune fille, se baissant, suivie par un basset ressemblant à un serpent, 1906


1906年以降、ミュンヘン分離派展に銅版画を出品していて、
1910年にはすでにベルン等で個展も開いています。

この頃はセザンヌやゴッホらの作品に感銘を受けつつ
独自の道を模索していたようです。





またカンディンスキーやマルクらと知り合って、
特にマルクとは親友となり、
彼らが立ち上げた「青騎士」展には第2回展から参加しました。

  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)フランス情報