2013年10月31日
134-3 富岡製糸場 (富岡市)
Bonjour~~~
最近またいい天気が続いていますね~・・・。
今回は、富岡製糸場そのものをご紹介したいと思います。
フランス人技師によって建造されたその建物には
やはりフランスの技術が生かされている個所が多々あるようです。
まず本国で元々ある工場は煉瓦造り・・・でも当時は煉瓦は日本にはないので
煉瓦を一から作ることに・・・。
当時、この製糸場の規模は本国フランスの製糸工場と比べても
かなり大きな工場だったようで、それまでの日本の木造の建造物では
実現が出来ないほどの規模なわけで、どうしても煉瓦が必要
かといって本国から取り寄せるにはあまりにも重く、量が多すぎる・・・
そんなわけで、煉瓦を作ることに
でも煉瓦なんて日本では作ったことがないので、
当時、甘楽は焼き瓦の産地で、瓦職人は多数いたので
その瓦職人んを集めてを作ることに。
だから、「煉瓦」 っていう字に 「瓦」 という漢字が使われているわけです。
試行錯誤の末に煉瓦が完成。
↑フランス積
そしてその煉瓦をフランス積に・・・。
フランス積は横2本、縦1本を交互に積み重ねる方法が特徴なんだそうです。
ちなみにイギリス積やドイツ積もあるようです。
↑イギリス積
そして日本伝統の木造の建築の技術とフランス積による建物が完成。
今でもそのおかげで、日本独特の気候や地震や
約150年という時間がが経過していてもまだまだしっかりと
その姿を残している要因なんだそうです。
工場の中の製糸機械も、当時日本人の体形に合わせて
フランス人技師が図面を描き、フランスに送って特別に作らせた機械だそうです。
当時女工さん達の宿舎や教育をするための学校なんかもあったそうで
たぶん当時から日本人女性の真面目さや基礎教育の高さから
学校でさらなる教育によって、高い品質の生糸が作れると思ったのでしょうね~・・・。
それにポール ブリュナが住んでいた建物もけっこう当時の日本では立派なもので
地下には、何かの時に逃げ込むための地下室でもあった
食材を保管する貯蔵庫とワインカーブが作られていて
フランス人が住んでいた住宅なんだな~とつくづく思うような
そんな建物です。
窓ガラスのガラスもフランスから運んで設置したものだそうです。
今その当時のもガラスが残っているのかどうかは確認できていないと
言っていましたが・・・。
煙突も当時のまま?のようです。
それにしても当時を考えたら本当に巨大な工場です。
当時の人は本当にびっくりしたでしょうね~・・・。
ちょっといい雰囲気の休憩場所もありましたよ。
帰りに、知り合いに連れていかれて
富岡の食べ物コンクールで最高賞を受賞したシルクうどんなるものを
ごちそうになりましたが
ちょっと中華のジャージャー麺のような汁なしのうどんを御馳走になりましたが
これがけっこう美味しかったです。
富岡の名物の一つにしようと考えているみたいですよ。
いいかも・・・。
これにフランスのガレットやクレープなんかを本格的に食べさせてくれる
そんなおしゃれなお店が複数できれば、
富岡もちょっと行く楽しみが出来るかもしれませんね。
富岡製糸場
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
最近またいい天気が続いていますね~・・・。
今回は、富岡製糸場そのものをご紹介したいと思います。
フランス人技師によって建造されたその建物には
やはりフランスの技術が生かされている個所が多々あるようです。
まず本国で元々ある工場は煉瓦造り・・・でも当時は煉瓦は日本にはないので
煉瓦を一から作ることに・・・。
当時、この製糸場の規模は本国フランスの製糸工場と比べても
かなり大きな工場だったようで、それまでの日本の木造の建造物では
実現が出来ないほどの規模なわけで、どうしても煉瓦が必要
かといって本国から取り寄せるにはあまりにも重く、量が多すぎる・・・
そんなわけで、煉瓦を作ることに
でも煉瓦なんて日本では作ったことがないので、
当時、甘楽は焼き瓦の産地で、瓦職人は多数いたので
その瓦職人んを集めてを作ることに。
だから、「煉瓦」 っていう字に 「瓦」 という漢字が使われているわけです。
試行錯誤の末に煉瓦が完成。
↑フランス積
そしてその煉瓦をフランス積に・・・。
フランス積は横2本、縦1本を交互に積み重ねる方法が特徴なんだそうです。
ちなみにイギリス積やドイツ積もあるようです。
↑イギリス積
そして日本伝統の木造の建築の技術とフランス積による建物が完成。
今でもそのおかげで、日本独特の気候や地震や
約150年という時間がが経過していてもまだまだしっかりと
その姿を残している要因なんだそうです。
工場の中の製糸機械も、当時日本人の体形に合わせて
フランス人技師が図面を描き、フランスに送って特別に作らせた機械だそうです。
当時女工さん達の宿舎や教育をするための学校なんかもあったそうで
たぶん当時から日本人女性の真面目さや基礎教育の高さから
学校でさらなる教育によって、高い品質の生糸が作れると思ったのでしょうね~・・・。
それにポール ブリュナが住んでいた建物もけっこう当時の日本では立派なもので
地下には、何かの時に逃げ込むための地下室でもあった
食材を保管する貯蔵庫とワインカーブが作られていて
フランス人が住んでいた住宅なんだな~とつくづく思うような
そんな建物です。
窓ガラスのガラスもフランスから運んで設置したものだそうです。
今その当時のもガラスが残っているのかどうかは確認できていないと
言っていましたが・・・。
煙突も当時のまま?のようです。
それにしても当時を考えたら本当に巨大な工場です。
当時の人は本当にびっくりしたでしょうね~・・・。
ちょっといい雰囲気の休憩場所もありましたよ。
帰りに、知り合いに連れていかれて
富岡の食べ物コンクールで最高賞を受賞したシルクうどんなるものを
ごちそうになりましたが
ちょっと中華のジャージャー麺のような汁なしのうどんを御馳走になりましたが
これがけっこう美味しかったです。
富岡の名物の一つにしようと考えているみたいですよ。
いいかも・・・。
これにフランスのガレットやクレープなんかを本格的に食べさせてくれる
そんなおしゃれなお店が複数できれば、
富岡もちょっと行く楽しみが出来るかもしれませんね。
富岡製糸場
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
Posted by フランスさん at 16:00│Comments(0)
│お店・フランス情報その他
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