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「ぐんまフランス祭2020」

2017年04月07日

239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)

Bonjour


パウル・クレー展の最後です。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


バウハウス退職後は1931年から1933年まで
デュッセルドルフの美術学校の教授をしていました。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


1933年、ナチス政権の成立とともに
前衛芸術の弾圧がはじまり、クレーにも及びました。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


美術学校からの休職の通達やアトリエの家宅捜索を受けたクレーは
身の危険を感じ生まれ故郷のスイス・ベルンに亡命します。

しかしドイツ国内の銀行口座が凍結され、
経済的な困窮に陥ることになります。
更に亡命の2年後に原因不明の難病である皮膚硬化症が発症して、
晩年の5年間は療養と闘病のなかで制作を行っています。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


ナチスによる弾圧は「退廃芸術展」へのクレー作品の展示、
ドイツ国内の公的コレクションの押収にまで及ぎました。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


亡命直後は創作もはかどらず、作品数も激減しますが、
1937年には復調し、旺盛な創作意欲を見せます。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


また同年にはピカソとブラックがそれぞれクレーを訪問しています。

1939年にはデッサンなども含めた1年間の制作総数は1253点に及ぶほど
創作欲が充満し、この頃の作風は手がうまく動かないこともあって、
単純化された線による独特の造形が主なものになります。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


一時期は背もたれのある椅子に座り、
白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては
床に画用紙を落とす事を繰り返していたそうです。

1940年、画架に『無題(静物)』を残してロカルノ近郊のサンタニェーゼ療養所に移り、
その地で死去しました。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


ベルンのショースハルデン墓地にあるクレーの墓石には
「この世では、ついに私は理解されない。
なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、
死者のもとに、私はいるのだから」
というクレーの言葉が刻まれています。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


本当に素晴らしい大回顧展でした。


239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)


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Posted by フランスさん at 06:00│Comments(0)フランス情報
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