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2017年04月07日

239-4 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)

Bonjour


パウル・クレー展の最後です。





バウハウス退職後は1931年から1933年まで
デュッセルドルフの美術学校の教授をしていました。





1933年、ナチス政権の成立とともに
前衛芸術の弾圧がはじまり、クレーにも及びました。





美術学校からの休職の通達やアトリエの家宅捜索を受けたクレーは
身の危険を感じ生まれ故郷のスイス・ベルンに亡命します。

しかしドイツ国内の銀行口座が凍結され、
経済的な困窮に陥ることになります。
更に亡命の2年後に原因不明の難病である皮膚硬化症が発症して、
晩年の5年間は療養と闘病のなかで制作を行っています。





ナチスによる弾圧は「退廃芸術展」へのクレー作品の展示、
ドイツ国内の公的コレクションの押収にまで及ぎました。





亡命直後は創作もはかどらず、作品数も激減しますが、
1937年には復調し、旺盛な創作意欲を見せます。





また同年にはピカソとブラックがそれぞれクレーを訪問しています。

1939年にはデッサンなども含めた1年間の制作総数は1253点に及ぶほど
創作欲が充満し、この頃の作風は手がうまく動かないこともあって、
単純化された線による独特の造形が主なものになります。





一時期は背もたれのある椅子に座り、
白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては
床に画用紙を落とす事を繰り返していたそうです。

1940年、画架に『無題(静物)』を残してロカルノ近郊のサンタニェーゼ療養所に移り、
その地で死去しました。





ベルンのショースハルデン墓地にあるクレーの墓石には
「この世では、ついに私は理解されない。
なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、
死者のもとに、私はいるのだから」
というクレーの言葉が刻まれています。





本当に素晴らしい大回顧展でした。



  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)フランス情報