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「ぐんまフランス祭2020」

2017年04月05日

239-3 パウル・クレー展 ポンピドゥー(パリ)

Salut~~

パリ・ポンピドゥーセンターでの「パウル・クレー」の大回顧展について
ご紹介しています。








1912年にはパリでロベール・ドローネと出会い
この時にピカソやマティスらの作品に接しています。


その後彼のエッセイ『光について』をドイツ語に訳していて
この頃から光と色彩のフォルムや線描についての探求が始まり、
特に線描については風景画では輪郭線のみで
単純に描くことを試みていて
だんだんその輪郭の線そのものが重視されていきました。





その後のクレーの絵の抽象化や独自の画風の確立の原点です。

1914年春から夏にかけてのクレーはチュニジア(北アフリカ)に
旅行に出かけるのですが、
これがまたクレーの画業の大きな転機にもなったようですです。





アフリカの鮮やかな色彩に目覚め、作風は一変していきます。

「色彩は、私を永遠に捉えたのだ」という言葉が、
チュニジアでの体験を物語っています。





クレーの画集等で紹介されている色彩豊かな作品は、
ほとんどがこの旅行以後のものです。

またこの頃からクレーは抽象絵画にも踏み込み、
その後の表現の幅は飛躍的に拡大しました。





1921年から1931年まではかの有名なバウハウスで教鞭をとっています。

この時期にはニューヨークやパリでも個展が開き、
第1回シュルレアリスム展に参加
クレーの名は国際的に知られるようになりました。








またロシアから戻って同じくバウハウスの教授となったカンディンスキーとは、
一時期アトリエを共有していました。

クレーは造形や色彩について講義を行い、
のちにはカンディンスキーと共に自由絵画教室を担当するかたわら、
絵画理論の研究に取り組み、
多くの理論的著作を残しました。





造形について、色彩についての様々な研究は講義のための準備と
クレー自身の表現の探求の両方を兼ねていて、
そのような研究を通してクレーの芸術観と絵についての考えは
いっそう深化していきます。





その一方で各地への旅行も行い、
特に1928年から翌年にかけてクレー協会の支援を得て
実現したエジプト旅行は、
その後のクレーの作品に多大な影響を及ぼしています。  




Posted by フランスさん at 06:00Comments(0)フランス情報